5.0.はじめに
5.0 序論
ユークリッド長さ (0.6.1) は、\( \mathbb{R}^2 \) や \( \mathbb{R}^3 \) における「大きさ」や「近さ」のもっともよく知られた尺度である。実ベクトル \(x\) は、\(\|x\|_2 = (x^T x)^{1/2}\) が小さいときに「小さい」と考えられる。2つの実ベクトル \(x, y\) は、\(\|x - y\|_2\) が小さいときに「近い」と考えられる。
実ベクトルや複素ベクトルの「大きさ」を測る方法として、ユークリッド長さ以外に有用なものはあるだろうか。また、行列の「大きさ」について、行列代数 \(M_n\) の構造を反映するようなものは考えられるだろうか。
この問いに答えるために、本章ではベクトルや行列のノルムを扱う。ノルムはユークリッド長さの一般化と考えることもできるが、単なる一般化にとどまらない。ノルムは行列のべき級数の研究や数値計算のアルゴリズムの解析・評価において自然に現れるのである。
例 5.0.1(収束)
複素数 \(x\) が \(|x| \lt 1\) を満たすとき、次が成り立つことを我々は知っている。
(1 - x)^{-1} = 1 + x + x^2 + x^3 + \cdots
これは次の公式を示唆する。
(I - A)^{-1} = I + A + A^2 + A^3 + \cdots
では、この公式はいつ正しいのだろうか。行列 \(A\) の任意のノルムが 1 より小さいときに十分であることがわかる。さらに、次のように行列値関数を定義する妥当な方法と思われる他のべき級数も、ノルムを用いることで収束することが示される。
e^A = \sum_{k=0}^{\infty} \frac{1}{k!} A^k
ノルムはまた、ある関数値を所望の精度で計算するために必要な有限項数を決定する際にも有用である。
例 5.0.2(精度)
\(A^{-1}\)(あるいは \(e^A\) やその他の \(A\) の関数)を計算したいが、行列 \(A\) の成分が正確には知られていない場合を考える。成分は実験や他のデータ解析、あるいは丸め誤差を含む計算から得られたものであるかもしれない。このとき、\(A = A_0 + E\) として「真の」行列 \(A_0\) と誤差行列 \(E\) に分けて考えることができる。そして、真の逆行列 \(A_0^{-1}\) の代わりに \((A_0 + E)^{-1}\) を計算することによる誤差を評価したいのである。
\((A_0 + E)^{-1} - A_0^{-1}\) の評価は、逆行列の正確な値そのものと同じくらい重要であり、ノルムを使うことでこのような問題に体系的に対処できる。
例 5.0.3(評価)
固有値や特異値の評価はしばしばノルムを含む。また、行列の摂動によってこれらの値がどのように変化するかの評価もノルムを通じて表される。
例 5.0.4(連続性)
実数値または複素数値関数 \(f\) が、その定義域 \(D \subseteq F^n \ (F = \mathbb{R} \text{ または } \mathbb{C})\) の点 \(x_0\) において連続であるとは、任意の \(\varepsilon \gt 0\) に対して、ある \(\delta \gt 0\) が存在して、\(x \in D\) かつ \(\|x - x_0\|_2 \lt \delta\) ならば \(|f(x) - f(x_0)| \lt \varepsilon\) が成り立つことをいう。
自然な一般化として、ユークリッドノルム以外のノルムで定義されたベクトル空間上の関数の連続性を考えることができる。
行列解析の総本山

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